かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

明治時代の算術のサンドイッチとスカラー関係

 「さらが 5まい あります。1さらに りんごが 3こずつ のって います。りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう。」という文章題に対し,今の日本の算数で,正解とされる式の一つは「3×5=15」です。「5×3」はよく不正解とされます。
 この正解・不正解の説明に用いられるのが「サンドイッチ」です。かけられる数と,かけ算の答え(積)の単位が同じになるよう,式にします。「3こ×5=15こ」だからOK,「5まい×3=15こ」だと合っていない,ということです。
 これらの式で,かける数の単位を取り除きましたが,これはVergnaud (1983)による「スカラー関係」の考え方で説明ができます。1さら(1まい)だけだと,りんごが3こで,そのような「さらが 5まい あります」ので,りんごの数は5倍になる,という見方です。1:5=3:xという比例式や,2行2列の4マスによる表を用いて,「5まい」が「5ばい」になるのを確認できます。
 なお「単位」は,算数では異なる意味で使用されています。かわりに「名数」という用語があります*1。名数を書かない数は,「無名数」または「不名数」です*2。「3こ×5=15こ」の式では,かけられる数(3こ)と積(15こ)が名数,かける数(5)が無(不)名数となります。


 本記事では,明治時代の算術書(教師向けの本)から,「サンドイッチ」と「スカラー関係」を見ていきます。まずは3日前の記事で紹介した,藤澤利喜太郎『算術教科書上巻』のp.54(コマ番号32)です。

 40. 掛け算の総ての場合に於て乗数は必ずや尋常の数即不名数ならざるべからず,例へば5を三円倍する或は7円を3里だけ探るといふが如きは全く意味なき言なり,これに反し被乗数は尋常の数にても又名数にても可なり。
 名数に或る数を掛けて得たる積は被乗数と同名なり。

 式に表すと,「5×3円」「7円×3里」というのは不適切であり,例えば「5×3」「7円×3」ならOK,と解釈できます。ただしこの本を読み進めても,「7円×3」のような式の書き方は,見当たりません。
 他の明治時代の算術書に切り替えます。太田澄三郎編『女子算術教科書 上』p.43(コマ番号23)だと次のとおりです。

59. 乗法において,被乗数は,名数なるを得れども,乗数はつねに無名数にして決して名数なることできずしかしてその積は被乗数と同じ名数なり。

 次のページ(コマ番号24)の「60.応用問題の解法」の最初の例から,59番の記述が確認できるようになっています。「12里×15=180里」が明記されており,「12里×15日」ではありません。

 例 1. ある人毎日12里づつたびするとき,15日間にいくらのところにゆきつくべきか。
 15日は1日の15倍なるを以て,この人の歩みし里数は,12里の15倍なり,ゆゑに12里×15=180里なり。

 阿知波小三郎『国定準拠尋常小学算術書. 第3学年 児童用』では,コマ番号27では「第七 名のついてゐるかけ算のけいこ。」と題して,「125時×6」「3円85銭×3」の運算(筆算)が見られます。後者のかけられる数はいわゆる複名数ですが,「385銭」に置き換えてから筆算し,答えは「十一円五十五銭」としています。
 塚本明毅『筆算訓蒙 巻1』のコマ番号25の記述も関連します。

  乗法
乗は俗に掛算といふ、同数の和を求むる法にして、加法に原づきて、其更に簡便に施すべきものをいふ、
乗の標識は、×を用る、
(略)
乗者原数あり、これに某数を掛けて、総数を求むるにして、其原数を実と称し、掛くる所の数を法といふ、得たる所の総数を、得数といい,又積と称す、
其実数は必名数にして,法数は姑くこれを不名数と見て可なり(其理は比例式に於て詳にすべし、)其得数は、必ず実数と類を同して、即其同名数なり、

 書き出してみましたが,以下の文献のp.14のほうが読みやすく,「姑く(しばらく)」とはどういうことなのかについても記されています。

 この文献を読み進めると,同時期の他の「教科書」にも,記されているのが分かります(p.16)

(略)永峰も加法による説明は最初だけに止めて,倍(量×倍)の概念に移行する。「乗積は必ず乗実と同種類ならざることを得ず。故に乗実虚数なるは其の積もまた虚数なり。乗数は唯乗実を幾倍すべきやを示す者なり。故に必ず虚数なり。」この点について,さらにていねいに例を挙げて説明がなされる。「今一尺二銭の綿布三尺にては其の価如何と問わんに其の答えは六銭なり。此の答えを得るに,二と三とを乗ずるは,二銭と3尺とを乗じたる者ならず。…三尺はー尺の三倍なるをもってー尺の価二銭を三倍して六銭を得るなり。今若し二銭と三尺とを乗して答えを得ると云わば猶三疋の馬と二個の桃とを乗ずるというが如し。甚だ理に背ける者となす」

 「永峰」の出典は,p.7に書かれている「(13) 永峰秀樹『筆算教授書』巻之ー,1877年」と思われます。国会国立図書館デジタルコレクションでは,見つかりませんでした。


 ここまでを表にします。出版年の古いものから順にし,巻名などは省略しています。

著者など 書名 出版年 注意1 注意2 名数×不名数の式
塚本明毅 筆算訓蒙 明治2年(1869) あり なし なし
永峰秀樹 筆算教授書 明治7年(1874) あり あり 不明
藤澤利喜太郎 算術教科書 明治29年(1896) あり なし なし
太田澄三郎 女子算術教科書 明治35年(1902) あり あり あり
阿知波小三郎 国定準拠尋常小学算術書 明治38年(1905) なし なし あり

 注意1とは,今の言い方にすると「かけられる数と,かけ算の答えが,同じ種類であること」,注意2とは,「かける数は(実際の場面では具体的な数であっても)『~倍』になること」です。
 個人的な関心は,注意2のほうにあります。Vergnaud (1983)のスカラー関係は,明治時代のいくつかの算術書で,すでに知られていたことを意味するからです。


 メインブログおよび当ブログで,関連する記事を挙げておきます。

*1:英語では,unitでも通じますが,referentという単語も使われます。詳しくは,https://takehikom.hateblo.jp/entry/20130312/1363031965をご覧ください。

*2:「名数」「無名数」「不名数」は,小学校学習指導要領および解説には出現しません。https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/01/page1_07.htmlがもっともよく整理されています。