かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

中央公論2015年12月号の,“掛け算の順序問題”を含む対談

 この記事の趣旨は,小学校を通してかけ算がどのように学習されているかをきちんと認識することなく,「かけ算の順序問題」が教育批判のための道具として手軽に使われているなあという,残念な気持ちの表明にあります。

 中央公論2015年12月号掲載とのこと.知ったきっかけはhttp://d.hatena.ne.jp/samakita/20170315/p1です。対談の途中に「掛け算の順序問題」が出てきます。

川端「今日、是非お話ししたいと思っていたのが、小学校の“掛け算の順序問題”です。“1×2”も“2×1”も答えは同じですよね。しかし、(※)これを『問題文の順序通りの式で計算しないと不正解にする』という動きが小学校であるんです。例えば、『脚が2本の鶏が3羽いた時、脚の数は全部で何本でしょう?』という問題なら、(※)“2×3=6”は正解で、“3×2=6”を不正解にするという具合です。不正解とされた子供の保護者が驚いて、毎年必ず議論になるんです」
左巻「『どちらか一方の式しか正解にしない』というのは、数学的な思考とは言えないですね」
川端「掛け算を初めて習う小学生にわかり易いように、『2本の脚×3羽だから6本でしょう』と説明をするのはわかりますが、それを小学5~6年生になっても『片方の式しか認めない』という教育が行われているのは変だと思うんです」
左巻「教師が使う指導書に、『こう教えるように』と書いてある場合があるんですよ。教科書は検定を通らないと使えませんが、指導書は検定を受けないので、何を書いても許されるんです」
川端「少なくとも、教科書会社は『小学生の間は順序を固定しなければいけない』と考えている訳ですね。これはもう、現場の教師レべルではどうしようもなくて、教材として使われるドリルやワーク等も、正解を一方に固定するものが使われている訳です。それくらい深く浸透している。わからないのは、『こうした非合理的な信念はどこから来るのか?』ということです。結局、中学生になればどっちでも正解になります。というか、そんなことは先生も気にしなくなる」
左巻「昔は、そんな教え方は無かったと思います。マイナーな指導法が、いつの間にか拡散していったのかもしれません。掛け算をイメージし易く教える導入場面はあってもいいと思いますが、順序をずっと固定化・強制して、逆に答えると『掛け算の意味を理解していない』と×にするのは、直ぐに止めてほしいですね」

 2度出現する「(※)」については,ページの終わりに注釈が入っています。

(※) 混乱を招く言い方なので、深くお詫びします。書き直すとすれば、「文章題の計算をする時、決められた順序で式を立てないと不正解にするという動きが小学校であるんです」「うっかり出てきた順に“3×2=6”と書くと不正解。“2×3=6”が正解という具合です」。個人でとりいそぎできる訂正としてここに掲示しておきます。
http://blog.goo.ne.jp/kwbthrt/e/d3d063f9ae6b16474acbe3cc050648dc

 リンク先を読みました。書き直し案があります。

書き直すとすれば、
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川端 今日、ぜひお話ししたいと思っていたのが、小学校の「かけ算の順序問題」です。一×二も二×一も答えは同じですよね。しかし、文章題の計算をする時、決められた順序で式を立てないと不正解にするという動きが小学校であるんです。
例えば、「三羽の鶏がいます。鶏の脚は二本です。脚の数は全部で何本でしょう」という問題で、うっかり出てきた順に三×二=六と書くと不正解。二×三=六が正解という具合です。不正解とされた子どもの保護者が驚いて、毎年必ず議論になるんです。
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これ、二段落目も、問題を際立たせるために変えてます。

 ここまで見た上で,関連しそうなものと対比していきます。
 まず,対談中の「問題文の順序通りの式で計算しないと不正解にする」について,思い浮かぶのは以下の本と,増刷による書き換えです。

 2014年のこの件が,2015年の中央公論の対談でも同様に起こっているというのは,小学校を通してかけ算がどのように学習されているかをきちんと認識することなく,「かけ算の順序問題」が教育批判のための道具として手軽に使われていると,思えてなりません.
 『江戸しぐさの正体』では「交換法則」を持ち出し,また上記対談ではこの語の代わりに「“1×2”も“2×1”も答えは同じですよね」という発言が見られます。
 これもまた,国内外の算数教育の状況を把握していないと言わざるを得ません。それらの式を使うなら,「1×2と2×1,答えは同じでも意味が違う」です。国内でいうと,東京書籍の教科書の例があります。

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 国外の授業については,日本語非ネイティブの教授が紹介しています。

 この文献に見る,イランの授業では,「16を3でかける」と「3を16でかける」の意味の違いを,ある生徒が発表し,そこで先生がみんなに拍手を促すシーンがあります。アメリカの授業の事例でも,原文となるhttp://books.google.co.jp/books?id=2NX4I6mekq8C&pg=PA3を読むと,「5個入りのリンゴが2袋」と「2個入りのリンゴが5袋」を言う生徒の発表を,先生は肯定的に取り上げています。交換法則に関連する「答えは同じ」を指摘する生徒に対しては,「2つの式が違った場面を表すのに使えないって言うのですか?」と先生が質問をしていており対照的です。
 最後に,中央公論の対談にも,川端裕人氏による書き直しにも見られる,「という動きが小学校であるんです」について,いつからその種の指導(また指導を意図した出題)がなされているかが無視されています。書き直された「三羽の鶏がいます。鶏の脚は二本です。脚の数は全部で何本でしょう」について,同種の出題を以下にて整理しています。

 意図されているのが分かるのは,1941年の「カズノホン(水色表紙教科書)」です。より具体的な指導は,1951年の小学校学習指導要領算数科編(試案)にあります。また1957年に刊行された『算数科の教育心理』という本では,当時かけ算を学ぶ3年生では,かけられる数とかける数を反対に書くのは指導の対象となっています。
 ただし,『算数科の教育心理』において,45名で4回ずつイスを運ぶ場面で,4×45のほか45×4でも正解となることを,子どもたちに見つけさせています。4年生の指導例です。この種の授業が,これまで(現行の学習指導要領や算数教科書のもとで)なされていたわけではありませんが,トランプ配りや,Vergnaudの関数関係などととも関連しており,新しい『小学校学習指導要領解説算数編』でもその一部が取り入れられています。
 「それを小学5~6年生になっても『片方の式しか認めない』」でないことを含む事例を,以下にて紹介しています。

 小学校を通じて,かけ算がどのように学習されているかをきちんと認識することなく論じられる状況を,残念に思います。