かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

数の順序にこだわりをもつのは

算数科教育 (新しい教職教育講座 教科教育編)

算数科教育 (新しい教職教育講座 教科教育編)

 2017年に告示された学習指導要領の算数科の内容に対応した解説書です。ただし,「プログラミング的思考」だけで一つの章(第10章)を設けているのは興味深いところです。ここだけ先に見ておくと,3つの節に分かれていて,総論,学習指導要領におけるプログラミング思考,そして算数科への適用となっています。正多角形の描画のほか,素数を探すプログラム,そしてアンプラグド(コンピュータを使わないでプログラミング的思考をすること)についても記されていました。
 第5章(数と計算)の中で,乗法・除法は次のように紹介されていました(pp.62-63)。巻末の執筆者紹介によると,該当箇所の執筆者は,関西学院大学教育学部教授の渡邉伸樹氏です。

 次に乗法,除法の意味に関しては,整数段階の導入時でその基礎を理解させ,小数・分数段階で発展させるのが一般的である。乗法の意味の指導において,基本的には同数累加,倍概念,量の積などがある。離散的な整数を扱う場合は,児童がこれまで学んできた加法の関連から同数累加的な扱いが大切となる。
 なお,児童が系統的な意識をもって学んでいるという前提にたてば(加法を集合の和で定義している),集合を意識した乗法はたとえば直積で定義され,同数累加を意識した乗法ではペアノの公理による定義に通じているように,数学のベースが異なることに配慮する必要がある。乗法として,たとえば3,3,3,3の総和を考えた際,「3ずつを4回とる」を「3ずつを4回」と考えることが大切であり,すなわち○ずつ□回と考えるのが乗法の意味といえる(これを形式的に○の□倍としてもよい)。
 たとえば,乗法では演算記号×を使って3×4と表し,3ずつ4回と考えることが多い。なお,3×4は日本語では3かける4(3ずつ4回)と読むが,英語では3 times 4(3回4ずつ)と読み,意味が異なる。そのため,数の順序にこだわりをもつのはあまり意味がなく,児童の式の捉えが大切となる。そして,乗法九九の指導では,ほとんどが2や5の段からの導入であるが,乗法の内容の意味を理解させるには,どの段からの扱いでも問題はない。2や5の段は児童がすでに答えを暗記しており,答えがわかってしまっているため意味や内容を理解できない場合があるので注意したい。7,8,9の段は児童が苦手とするが,その原因はそれらの段を扱う時間が少ないことがあげられる。それは,2の段や5の段の指導時間が長すぎることが一要因であることは否めない。したがって,2,5,7,9…などの順での指導も効果がある。
 これに対し除法の意味は,等分除と包含除がある。(以下略)

 まず気になったのは,「そのため,数の順序にこだわりをもつのはあまり意味がなく,児童の式の捉えが大切となる。」です。直前の文(日本語・英語の比較)と結びつきを考慮すると,『小学校指導法 算数』*1に書かれた「乗法では、数の位置ではなく、数が意味する内容に注目して、どの数が1つ分の数であるか、いくつ分はどの数かをしっかりと読み取ることが大切である。」(p.92)の箇所が,最も関連すると思っていいでしょう。
 なのですが,その本(少なくとも乗法の解説のところ)には,「こだわり」の語は見当たりません。そこで『かけ算には順序があるのか』*2を開いてみると,まえがき(p.iii)に「学校で「かけ算の意味」と教えることは必要でしょうが,「かけ算の順序」にこだわる必要はないはずです.」の文を見つけました。
 といった次第で,「数の順序にこだわりをもつのは」を含む文は,2011年の出版物2つに影響されて作ったものではないかと判断しました。
 乗法九九の指導の文章にも,違和感を持ちました。まず,「2や5の段は児童がすでに答えを暗記しておりすでに答えを暗記」について,「2ずつ・5ずつ」で数えることを,かけ算より前に学習していることの指摘が見当たりません。それから「2の段や5の段の指導時間が長すぎることが一要因であることは否めない」について,教科書会社のWebサイトにアクセスし,2年の年間指導計画または単元一覧表を見ました。東京書籍*3,啓林館*4,教育出版*5の3社だけですが,「2の段や5の段の指導時間が長い」のが確認できるのは東京書籍のみで,残り2社では段ごとの時間の違いを見ることはできませんでした。なお正答率の面では,9の段よりも6の段のほうが低いことにも注意しないといけません(最も間違えやすい九九は6×8〜ベネッセ調査より - わさっきhb)。
 乗法の解説にあたり「一つ分の大きさ」や「1つ分の数」といった表記が出てこないことにも,引っかかりを覚えました*6。乗法・除法の関係で出てくる,かけ算の言葉の式は「○(ずつ)×□(回)=全体(数)」です。そこで引用部を見直すと,「○ずつ□回」をはじめ,「ずつ」の表記が多いことにも気づきます。
 とはいえ,かけ算において「ずつ」は必須ではなく,例えば教育出版の教科書だと「電池が4こ入ったパックが,8パックあります」,啓林館の教科書だと「テープを4本つなぎます。テープ1本の長さは3cmです」,といった書き方で,「ずつ」のない場面を見つけることもできます。「1つ分の数」がどれかを捉えることは,「ずつ」がある文章題でも,ない文章題でも,(2~3年のかけ算においては)可能となります。
 第5章には,「マイナールール」という,算数教育の解説書で見たことのない表記が複数回,出現しますが,「ずつ」を用いた乗法の意味づけや,指導も,「マイナールール」であると言わざるを得ません。
 「児童が系統的な意識をもって学んでいるという前提にたてば」は,新指導要領の「主体的・対話的で深い学び」と,従来からの算数における系統性を組み合わせたものとして,なるほどと思ったのですが,直後の「(加法を集合の和で定義している),集合を意識した乗法はたとえば直積で定義され」で話が狂います。直積に関する説明がないため,ペアノの公理系と直積を具体的に述べてから,「指導の立場からの考察」にも分量をとっている,『新編算数科教育研究』*7と比べて貧弱に見えます.次期・現行に加えて一つ前の『小学校学習指導要領解説算数』に記載されている,「12個のおはじきを工夫して並べる」への言及があると良かったのですが。

*1:isbn:9784472404221。『算数科教育』第5章の章末,【さらに学びたい人のための図書】にも挙げられています。

*2:isbn:9784000295802。この本は,『算数科教育』に記載されていません。

*3:https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/ten_download/dlf76/emcz2562.pdf#page=14

*4:https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/text/sho/h31textbook/data/sansu_detail_all.pdf#page=49

*5:https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/shou/sansu/files/2562/5/27san2nh.pdf#page=11

*6:「(以下略)」とした直後に,「等分除とは,たとえば,「12個のリンゴを3人で分けます。1人分は?」という,1つ分の大きさを求めるものである。」にのみ出現します。ところでこのリンゴを分ける問題について,「等しく」「同じ数になるように」といった指定がないので,例えば10個+1個+1個という分け方もOKとなります。

*7:isbn:9784761604233