かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

かけることの本質

 かけ算の本質について,これまで読み書きしてきた情報を整理します。結論を手短に書くと,文章題で「3こ」「2.3m」と書かれていても,与えられた場面から「3倍」「2.3倍」を認識し,「×3」「×2.3」と表すことが,「かけることの本質」となります
 整理するきっかけとなったのは,次のツイートです。

 一つの対象について,いろいろな人が別々の情報を(自分の都合の良い性質だけを)取り出して「これが本質だ!」と主張するのは,かけ算でも目にしてきました。
 かけ算の順序批判から,「本質」の使用例を持ってくると,2017年7月に東京新聞中日新聞に掲載された特報(掛け算の順序論争再燃*1)があります。この中で,桜美林大学の芳沢光雄教授は「掛け算学習の本質には、順序を入れ替えても答えは同じという交換法則を理解することがある」とコメントしています。
 順序を明示していないものの,かけられる数とかける数の違いを示しながら,「本質」と結び付けて解説している出版物を,米国と日本で見ることができます。昨年,アメリカで7×3の絵を描かせるとで紹介した書籍(無料サンプルあり)では,"In the multiplicative expression A × B, A can be defined as a scaling factor."(A×Bというかけ算の式において,Aを倍率として特徴づけることができる。)を,Essential Understanding 1a,ですので本質的理解の最初の項目として掲げています。米国式(そしてかけ算の導入時)なので,「かける数×かけられる数」です。
 中島健三の『復刻版 算数・数学教育と数学的な考え方』のp.77では,小数の乗法(かける数が小数になる場合)において,図を用いて「かけ算の本質(構造)」を説いています。

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 上の図式は,A×p(=B)という「かけ算の本質(構造)」を,「Aを1としたときpに相当する大きさを表すこと」,すなわち,「pに比例する」という考えでとらえ,それを「関数尺」として表わしているものである。(略)

 以下では,交換法則などを念頭に置いた二項演算ではなく,「かけられる数」と「かける数」というのが認識できるという前提のもとで,「かける」とはどういうことかを検討していきます。記事のタイトルを,「かけ算の本質」ではなく「かけることの本質」としたのも,こういった事情からです。


 教科書を見ていきます。もちろん教科書に「これが本質だ!」と書かれているわけではなく,かけ算の式を立てて答えを求めるプロセスの中から,共通する要素を取り出し,何を教える/学ぶことが期待されているかを通じて,「本質」を取り出そうというわけです。あいにく,令和2年度の算数教科書は手元にないため,平成27年度の教科書を読み直しました。
 中島のころには具体化されておらず,今の6社すべての算数教科書に見かける図式は,二重数直線(数直線図,比例数直線)です。「比例」の用語と「簡単な場合の比例の関係」は,5年で学ぶことになるとはいえ,それより下の学年でも,比例の考え方に基づく演算決定の図が出現します。教育出版『小学算数4下』のp.142では,1ページを使用して,「かけ算,わり算の数直線のかき方,見方」を解説しており,左下の絵が,もっとも特徴的です。

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 どんぐりのようなキャラクターが「こ数が3倍になると,代金も3倍になる。だから,30×3」と発言しています。もとの文章題は「1こ30円のチョコレートを3こ買います。代金は何円になるでしょうか。」です。4年*2ということもあり,かける数は整数です。
 次に,啓林館『わくわく算数5』を見ます。二重数直線も使われていますが,関係図*3のほうをよく目にします。小数をかける計算(p.37)の,「1mのねだんが80円のリボンがあります。このリボンを2.3m買ったときの代金を求める式をかきましょう。」という文章題に対し,80×2.3という式を立てる際の図と考え方は,次のものです。

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 関係図*4では,「1m」と「2.3m」を入れた箱を,「2.3倍」を添えた矢印で結び付けています。箱の下に「80円」と「□円」です。これらの金額も,2.3倍になるわけで,図の右下にではキャラクターが「80円の2.3倍になるから」と発言しています。
 この2例のほか,教科書のかけ算の文章題で答えを求めるにあたり図を用いたものについて,二重数直線が本質(必須)ではないと言ってよさそうです。ただし二重数直線は,関連する図式とともに1990年代以降,よく検討・実証され,頻度はさておき,どの出版社の算数教科書にも採用されています*5。他の図式との比較などは割合モデルは淘汰されたのか~数直線モデルとの比較を通して考えるを,「速さ」での図式の使用状況については令和2年度算数教科書読み比べ(8)~速さを,それぞれご覧ください。
 では,何が「本質」になり得るかというと,教育出版では図に「×3」,啓林館では「2.3倍」と書かれた箇所です。それぞれ,もとの場面(文章題)では「3こ」「2.3m」ですが,「3こ」「2.3m」をかけているわけでは,ないのです。(それに対し,「30円」「80円」のほうは,今の算数では式に単位を書かなくなっていますが,「30円×3」「80円×2.3」という式の表し方は可能であり,板書でも目にすることがあります。)
 「1こ」から「3こ」になるのを「3倍」,「1m」から「2.3m」になるのを「2.3倍」と認識し,比例の考え方*6を用いて,伴って変わる量(今回の事例ではともに金額)に対して「3倍」「2.3倍」もしくは「×3」「×2.3」と作用することにより,「30×3」「80×2.3」というかけ算の式が得られる(式を立てることができる),というわけです。
 この考え方は,上で紹介した米国の書籍や『復刻版 算数・数学教育と数学的な考え方』の記載のみならず,中島の1968年の文献*7の中の「A×BはAという単位量のスカラー倍」や,『算数・数学科重要用語300の基礎知識』p.187でヴェルニョーの文献を引用する中で示した「スカラー関係」とも通じます。
 ここまでについて,当ブログの関連記事です。

 書籍などです。

復刻版 算数・数学教育と数学的な考え方

復刻版 算数・数学教育と数学的な考え方

  • 作者:中島健三
  • 発売日: 2015/07/06
  • メディア: 単行本
算数・数学科重要用語300の基礎知識

算数・数学科重要用語300の基礎知識

  • 発売日: 2000/11/01
  • メディア: 単行本


 「量」や「次元」の観点でいうと,かける数は無次元量になると言えます*8。いわゆる1あたりのかけ算に関して,「80円/m×2.3m」よりも「80円×2.3」のほうがいいというわけです*9。量どうしの積となる,長方形の面積や,柱体の体積も,「単位正方形のいくつ分」や「高さが単位長の円柱の何倍か」と解釈すればいいのです。
 なお,「倍」の合成により,「さらが 5まい あります。1さらに りんごが 3こずつ のって います。りんごは ぜんぶで 何こ あるでしょう。」という,算数では3×5=15の式が期待される文章題に対して,「さらが1まいでりんごが1こだと,りんごはぜんぶで1こ」「さらが5まいでりんごが1こずつなら,りんごはぜんぶで1×5=5こ」「さらが5まいでりんごが3こずつだから,りんごはぜんぶで5×3=15こ」という求め方ができます。この件は,理由の分類の2017年5月の図のうち,【A-3】【A-4】が関連します。とはいえ2年のかけ算の導入の学年では,3×5と5×3の違いが重視されていますし,倍の合成が任意の順番でできるのか,という問題意識も持っておきたいところです*10

*1:少し検索したものの,記事本文を見ることはできませんでした。http://takexikom.hatenadiary.jp/entry/2017/07/18/061554で断片的に(特報の記事を批判する形で)取り上げています。

*2:令和2年度の教育出版算数教科書について,教師用指導書の見開きをhttps://www.kyoiku-shuppan.co.jp/2020shou/sansu/category03/guidance.htmlより参照できます。内容は3年です。画像を拡大し,左下の「第1時の板書例」を見ると,二重数直線があり,黄色の「×3」や,「2×3=6」と「20×3=60」を対比させる中で,下向き矢印に添えて「10倍」というのが,入っています。

*3:https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sho/text_2020/sansu/file/sansu_pamphlet_chapter09.pdfの(PDFとして)最初のページの右下で解説されています。

*4:画像の上部の,二重数直線とテープ図を組み合わせたものは,演算決定の根拠というよりは,結果の見積もり用に見えます。買うリボンの長さは2mと3mの間で,金額は,80円の2倍より大きくなることを,視覚化しています。

*5:平成20年度の小学校学習指導要領に基づく『小学校学習指導要領解説算数編』にも入っています。解説が先か,教科書が先かは,前後の教科書を入手していないので分かっていません。

*6:『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説算数編』p.262には,「×2や×3」「÷2や÷3」が本文中にあり,同ページ下段の表にも「×2」「×3」「÷2」「÷3」が書かれています。このような表記は,把握する限り,前(平成20年度)ともう一つ前(平成10年度)の『小学校学習指導要領解説算数編』には見当たりません。

*7:https://ci.nii.ac.jp/naid/110003849391

*8:古い文献を見ておくと,https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827357/23の「59. 乗法において,被乗数は,名数なるを得れども,乗数はつねに無名数にして決して名数なることできずしかしてその積は被乗数と同じ名数なり」も同様です。

*9:「80人の40%は何人か」をかけ算の式で表すとなったときには,1あたり(パー書き)の量が難しくなります。「1つ分の大きさ×いくつ分」そして「A×p」に基づくと,かける数に対応する数量が長さや個数でも,百分率や(小数・分数で表される)割合でも,統一して演算決定ができ,図や式に表せます。

*10:例えばhttps://takehikom.hateblo.jp/entry/20140822/1408718509で取り上げた,「雲梯の高さは2mです。木の高さは,雲梯の高さの3倍です。校舎の高さは,木の高さの2倍です。校舎の高さは,何mですか。」という場面に対し,2×2という式が何を表すのか,説明するのは困難です。