かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

等分包含の両意義が表はれてゐない

 等分除・包含除に関する指導法を見直していた際,引っかかるものがあったので,報告しておきます。文献情報は以下のとおり。

 第七章(算法教授の本領)第二節(小数加減乗除)の途中,p.136(コマ番号84)からです。

 除法算法の意義教授の方法の第一は逆算関係を基礎とするもの、第二は整数除法の算法観念を基礎とするものである。第一は除法は乗法の逆なりといふことに着眼して逆関係に除法の意義を説明せんとするものである。小学校に於ては確かに有力なる方法と認める。それに従へば除法の本質的の意義は一般に了解せられやう。即ち個々の問題に接し、問題の構成を了解しその解法を考案しその過程中に漸次算法の意義を了解せしめんするものである。例へば石油『一缶の七分の代金は一円七十五銭である、一缶の値幾何』の解法、七分の代金は一円七十五銭を〇・七にて除せばよいとしてその間に除法の算法の意義を了解せしめやうするものであるけれども、これでは算法の意義は応用的には了解せられない。何となれば等分、包含の両意義が表はれてゐないからである。これがためには、整数除法の観念を基礎とする第二の方法が来るべきである。この方法に於ては等分包含の整数除法の観念を、小数にも拡張せんとするものである例へば八にて割る場合に等分、包含の二種の意義があるならば、〇・五にて割る場合にも等分包含の二種の意義を認めさせやうとするのである。例へば砂糖『十貫目ありこれを二袋半に入るれば一袋には何程入るべきか』の問題に於て、十貫目を二・五等分するといふことは、小数としては奇異に感ぜられて一見不合理のはうであるけれども、思想上のこととしては敢て不合理ではない、唯整数に於ける等分観念を、小数まで拡張したるのみである。この等分の意義の合理的説明は二・五等分すれば一に相当するものの数量が現はれてくる、即ち一袋は一袋としての数値だけ配分され、〇・五袋は〇・五袋としての数値だけ配分されることであるから、実際上何等不合理を表す訳ではない林鶴一博士もこの意義を許してゐられる。この方法に従へば等分の意義は何等の困難なく徹底的に扱ひうるのである。乗数が帯小数でなく小数の場合にても合理的の説明が下せるものである。即ち小数にて序するときには一に対応するものの数量が現はれて来るものと合点させればよい。包含の意義は整数の除法観念を基礎として行ふことは論ずるまでもなく明瞭である。

 途中に2つ,文章題が出現します。『一缶の七分の代金は一円七十五銭である、一缶の値幾何』と『十貫目ありこれを二袋半に入るれば一袋には何程入るべきか』です。
 ですが,どちらも等分除になります。「一缶の値」「一袋には何程」とあるように,1つ分の大きさを求めるからです。
 小数で包含除の場面の例示は見当たらず,p.133(コマ番号82)に書かれた『一斤の七分だけ買ひたる茶の代金は二円十銭である。一斤の代金如何』も,等分除です。
 そうしたとき,「包含の意義は」から始まる最後の文は,包含除の例示を忘れていることに気づいて,つけ足したかのようにも見えます。
 なお,第七章第一節は,整数加減乗除で,p.127(コマ番号79)によると「加法は『多くの数を一つに寄せ集むる』」「減法は『二数の差を見る』」「乗法は『被乗数を乗数の示すだけ寄集むる』」なのに対して「除法としては『被除数を序数の指示する数に等分し或いは包含を見る』」と,2通りの意味があるように書かれています。次のページでは「算法は四則ではなく,五則であるといつた言は味ふべきである」としています。
 ともあれ現在の算数教育で,除法の意味に,等分除と包含除の2種類を置くのであれば,乗法は倍と積,減法は求残と求差,加法は増加と合併を,それぞれ考えることとなります。


 身勝手な主張では,最近,3つに分けて,ある書籍の「わり算」の指導を酷評しています。
 岐阜聖徳学園大学附属小学校の算数教育を検討する1 ~子どもに等分除・包含除の区別を押しつけようとする最低な授業と最低な解説2 - 身勝手な主張に書かれている,「わり算は乗法の逆演算であり,等分除・包含除の区別は無意味である」は,数学からの主張ならありかもしれませんが,区別をしないとしても,等分除・包含除と分類されてきたわり算の場面が消滅するわけではありませんので*1,「これはわり算で求められる」と子どもたちが判断できるようになること(演算決定)について,責任ある説明*2や,具体的な指導法を提示しないことには,賛同する人も限られるかなと思います。
 加えて,「「等分除」と「包含除」の区別は(略)算数教育主流派や数学教育協議会等が生みだした概念であるらしい」については,「らしい」をつけて許せるものでもありません。国内では上記のとおり,20世紀前半(数学教育協議会の結成は1950年代)から「等分」「包含」の区別が見られますし,日本に依存しないところでは,Klapper (1916)にも"Quotion and Partition."から始まる段落を見ることができます*3

*1:指導法ではなく,小数を対象とした乗法と除法(等分除・包含除)の文章題で適切な式を答えられるかを調査したものに,Fischbein et al. (1985) http://www.jstor.org/stable/748969があります。

*2:本日取り上げた水木(1923)には,「観念」「方法」「理由」が,よく出現します「観念」は「(演算などの)意味」であり,加減乗除が用いられる場面(の例)と結びつけられます。「方法」は,分数でわるときには分子と分母をひっくり返してかけるなど,計算の「手続き」と対応します。「理由」は,「原理」と言い換えることができ,9÷0.3を90÷3として計算してよい場合の「被除数除数の双方を同一の数にて乗除するとも結果に影響せず」(p.139,コマ番号85)が,一例となります。私見ですが,算数教育の批判はしばしば観念(意味)と方法(手続き)に対して向けられ,理由(原理)を批判したり,算数において有用となる(かつ現在の算数で教えられていないような)理由・原理を提示したりするといったことは,あまり見かけないなという認識を持っています。

*3:https://archive.org/details/teachingarithme00klapgoog