かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

乗法の定義について

 出版時期や執筆意図の異なる3つの書籍で,「乗法」の「定義」が書かれていました。
 まずは,1904年に刊行された高木貞治『新式算術講義』のウィキソースです。

加法は組み合はせの法則に從ふものなるが故に,同一の數aを幾囘も加へ合はせて得らるべき和は此數と加へ合すべき囘數bとによりて全く定まるべし.斯の如き和を求むるはa及びbなる二つの數を與へて之より或る定まれる第三の數を得べき手續きなるが故に,之をa,bなる二數に施こせる一の算法と見做すことを得.此算法は卽ち乘法にしてaは被乘數,bは乘數,求め得たる和はaのb倍或はa,bを乘したる積(a×b又はab)なり.a,bは何れも此積の因數にしてabといふ積の第一の因數は被乘數,第二のは乘數なり.加へ合はすといふ語は少なくとも二個の數を豫想するが故に,aに1を乘ずとは沒意義の事なり.吾輩は玆に改めて,a×1とはaの事なるべしと定む.之をしも前に述べたる乘法の定義の中に包括せられたりとせんは牽强なり.乘數が1なる場合と然らざる場合とに於ける乘法の意義は次の式により明に書き表はさる,
a×1=a
a×b=a+a+a+…+a

 『新式算術講義』(ちくま学芸文庫)ではp.26です。

 2番目は2011年の書籍ですが,2017年の小学校学習指導要領解説に影響を与えたと思われる記述があります。

 乗法の数学的定義についても,集合の要素の数という観点からの定義と,順序という観点からの定義がある。
 算数科では,整数の乗法は,一つ分の大きさが決まっているときに,その幾つ分かにあたる当たる大きさを求めるという場面で導入される。整数の世界では,その値を求めるためには,同数累加を行うことになる。つまり,乗法は同数累加の簡潔な表現として用いられることになる。この定義では,3×4=3+3+3+3,4×3=4+4+4となる。つまり,被乗数と乗数の順序に意味がある。また,交換法則(a×b=b×a)やa×(b+1)=a×b+aが成り立つことにも気づかせたい。例えば3×5の場合,3を5個足す代わりに,3を4個足したもの(3×4)に3を1個加えればよい。つまり,3×5=3×4+3となる。この性質を活用して1位数同士の乗法を考えていく(乗法九九の構成)。なお,平成20年改訂の学習指導要領においては,これらの乗法九九の構成の延長として,被乗数や乗数が12程度までの乗法を扱うこととなっている。
(p.113)

 上記の執筆者は清水紀宏で,『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 算数編』の「学習指導要領改善に係る検討に必要な專門的作業等協力者」に名前があります。

 3番目は,2021年出版の,数学者が執筆した「教員養成における教科と学問の接続を目的とした代数学の教科書」(「推薦のことば」より)からです。

17 可換半群(\mathbb{N}; +, 0)と累加×
 代数系(\mathbb{N}; +, 0)は可換半群だから,16節の内容は成立する.
17.1 累加×の定義
 初期値付き自励漸化式系(\mathbb{N}, +, A_a)帰納的定義の原理を適用すると次を得る:

命題17.1. a\in\mathbb{N}に対して,写像M_a : \mathbb{N}\to\mathbb{N}が一意に存在して,
M_a(0)=0
M_a(\sigma(n))=A_a(M_a(n)).

定義17.1 a\in\mathbb{N}n\in\mathbb{N}に対して,a\times n\in\mathbb{N}を次で定める.
a\times n := M_a(n).
これによって,\mathbb{N}上の二項演算{}\times{}が定まる.この二項演算を累加(repeated addition)または乗法(multiplication)と呼ぶ.また,a\times nanの積(product)と呼び,aを被乗数(multiplicand),nを乗数(multiplier)と呼ぶ.

 命題17.1における初期化付き自励漸化式を加法+と累加×を用いて書き直せば,次のようになる:
a×0=0
a×σ(n)=a+a×n (n∈\mathbb{N}).
(略)
この結果,例えばa×3は「(0に)aを3回足した数」というイミになる.
(p.86)

 ここまでの3つの記載の共通点として,(0以上または1以上の)整数の乗法の定義であることと,(同数)累加に基づくこと,乗算記号の左を被乗数,右を乗数としていることを挙げることができます。
 乗法(かけ算)は出現しませんが,「定義」について,啓林館サイトとメインブログで,1件ずつ,情報がありました。

(同月追記)以下の本では,「整数の乗法・除法」「乗法の定義」の小見出しを設けて,定義を述べています。①と②があり,①は「ペアノの公理系」として,結局のところ累加です。②では「2つの集合の直積を基に定義する」方法を述べており,一つの本では「n(A)×n(B)=n(A×B)」と表記しています。ここでAとBは集合,n(X)は集合Xの要素数,A×Bは集合の直積を表し,左辺の「×」が,整数どうしの乗法となります。