かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

かけ算の構造,スカラー

 小学校で学ぶかけ算の,背景となる「考え」もしくは「構造」を説明する2つの文献で,「スカラー」が使用されています。

 これは,割合の考えとも言われているが,A×BはAという単位量のスカラー倍(Bに比例して拡大縮小した大きさ)を表わすという考えである.
(p.76)

  • Vergnaud, G.: Multiplicative Structures, In Lesh, R. and Landau, M. (Eds.), Acquisition of mathematics concepts and processes, Academic Press, pp.127-174 (1983). [isbn:012444220X]


In Schema 5.2, ×b is a scalar operator bacause it has no dimension, being a ratio of two magnitudes of the same kind; b cakes is b times as much as 1 cake, and the cost of b cakes is also b times as much as the cost of 1 cake.
(Schema 5.2において,×bは次元を持たないためスカラー演算子であり,同じ種類の2つの量の比率になる.(「1個aセントのケーキがb個でいくらか?」という問題に対し)「b個のケーキ」は,「1個のケーキ」のb倍であり,「b個のケーキの値段」もまた,「1個のケーキの値段」のb倍となる.)
(p.130)

 明記されていませんが,中島の示した「考え」において,A×Bは,Aと同種の量になるのも,読み取ることができます.
 ここで連想するのは,線形性です.「4個のケーキ」「15セント」「2.3メートル」などを,それぞれ,量とみなしたときに,同じ量の集まり(a magunitude of the same kind)を考えることができます.それを量空間と呼ぶことにし,ある量空間から2つ要素を取ってきて,たし算した結果も,1つの要素の任意倍も,その量空間の要素となりますwikipedia:ベクトル空間のうち「V の各元 u, v および F の各元 a に対して u + v および av が必ず V に属する」が最も関連し,この表記においてVが量空間,Fは例えば0以上*1の整数,有理数,または実数の集合に対応付けることができます。
 「任意倍」は,「スカラー倍」「スカラー演算」であって,要素同士のかけ算をするわけではない点にも,注意しないといけません。
 数学の概念・用語を借用して,小学校の「かけ算」に説明する際の「スカラー」は,「ベクトル」*2などと対比されるものではない,というわけです。


 関連:

 では,何が「本質」になり得るかというと,教育出版では図に「×3」,啓林館では「2.3倍」と書かれた箇所です。それぞれ,もとの場面(文章題)では「3こ」「2.3m」ですが,「3こ」「2.3m」をかけているわけでは,ないのです。(それに対し,「30円」「80円」のほうは,今の算数では式に単位を書かなくなっていますが,「30円×3」「80円×2.3」という式の表し方は可能であり,板書でも目にすることがあります。)

長さの自然数倍のところで,はじめて「×」が現れます.

長さAの2倍というのは,
A+A
のことである.この長さを2AまたはA×2で表す.
同じようにして,
A+A+A
をAの3倍といい,3AまたはA×3で表す.
数1を例外としないために,Aの1倍はAであると決めておく:
1A=A×1=A
一般に,任意の自然数nに対して,長さAのn倍が定められる;それは‘n個のAの和’
A+A+……+A
であり,nAまたはA×nで表される.
(pp.9-10)

A. Axioms of the system of positive quantities. Let Q be a system of quantities of the same kind with the following properties with respect to the addition:
(以下略)

 注意1とは,今の言い方にすると「かけられる数と,かけ算の答えが,同じ種類であること」,注意2とは,「かける数は(実際の場面では具体的な数であっても)『~倍』になること」です。
 個人的な関心は,注意2のほうにあります。Vergnaud (1983)のスカラー関係は,明治時代のいくつかの算術書で,すでに知られていたことを意味するからです。

(略)

例題1 重さ0.4kgの本が6さつあります。重さは全部で何kgになりますか。
(略)
(式) 0.4×6=2.4 答え2.4kg
この式は,ことばの式で書くと,ふつう 1さつの重さ×さっ数=全部の重さ と表します。
でも,この式の意味をもっと正確に書くと,0.4(kg)×6(さつ)ではなく,0.4kgの6倍という意味だということを理解しておきましょう。
(p.12)

*1:「マイナス150円」は,小学校算数では扱わないためです。そのため,ここで考える量空間は,wikipedia:ベクトル空間で表になっている公理のうち,加法逆元の存在を満たしません。

*2:中島健三『復刻版 算数・数学教育と数学的な考え方』[isbn:9784491031309]の第2章に,「スカラー」は見当たらず,ベクトルについては,p.81で「乗法という形式は,(略)ベクトルや行列に関しても乗法という演算を考える際に,重要な役割をもつものである。」として言及されています。