- 藤沢利喜太郎(述): 数学教授法講義筆記. 明治32年夏期講習会, 大日本図書, 1900. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/811596
このp.200(コマ番号110)には,「分数に於ける姑息手段」と題した話があります。主要な箇所を取り出します。
掛け算の場合の困難は,種種工夫して遂に掛けると云ふ言葉の意味を変へて,掛けると云ふは一を土台として乗数を得るために行ふものと同じ計算を被乗数に行ふものであると箇様に其意味を変へえたのです(略)
所が若し此解釈が正しいものならば数の範囲が段段と広くなつても何処迄も当嵌まるなければなりませぬ,然るに此れは一歩進むと最早当嵌まらなくなります,手近い一例を申しますれば既に無理数の所で当嵌まりませぬ,唯一例を以て次にこれを説明致しませう
ここににを掛けて積を求むるものとすれば御存知の如くと云ふ積が得られませう,然るに試みに只今申しました様な掛け算の意味を当嵌めると,先づ第一に此乗数のは1を土台として如何にして求めたかと云ふと,1を二倍して其平方を取るのでせう,故に此意義によりて前の掛け算をやりますと,はを2倍してとし,其平方根即は求むる所の積なりと云ふこととなりまして,即ち其誤って居ることは一目瞭然でせう(略)
分数のかけ算のはずなのに無理数が出てくるのは,気になりますが,「一を土台として乗数を得るために行ふものと同じ計算を被乗数に行ふもの」という意味では都合が悪い例として,持ち出したと,とりあえず判断しました。
関連情報を探してみました。同時期に書かれた算術の本で,手に取ったのは,高木貞治の『新式算術講義』です。
- 作者: 高木貞治
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12) 乗法の定義を次の如く言ひ表すは不正確なり.aにbを乗ずるは1よりbに達すべき手続きをaに施こすなり.例へば=,≠,又2=,≠.上述の定義を完全ならしめんと欲せば次の如く之を修正すべし.1より倍加及等分によりてbに達すると同様にしてaより倍加及等分によりてabに達す.これは勿論正し,然れども亦平凡なり.bが無理数なる場合には斯の如き定義は用に堪へず.要するに,これ数の観念の明瞭ならざりし時代の遺物なり.
1904年に刊行されたものですから,「分数に於ける姑息手段」やそれまでの状況を踏まえたものと認識して良さそうです。
「倍加」は今でいう「整数倍」,「等分」は「整数で割ること」ですが,「1よりbに達する」「aよりabに達する」に関しては,「有限回の操作で」が,暗黙の了解事項なのでしょう。無限回の操作が許されるなら,例えば連分数を用いてが得られます。
『新式算術講義』では,第八章(量の連続性及無理数の起源)にてデデキント切断を取り入れながら無理数を定義し,続く第九章(無理数)で加減乗除を定めています。かけ算の定義では,第五章と同じ比例式を用いていますが,文字のとる範囲が異なるという点で,異なる演算となっています。
ここまでを書く契機となったツイートは以下の3つです。
#超算数 藤沢利喜太郎述1900年『数学教授法講義筆記: 明治32年夏期講習会』の200頁以降「分数に於ける姑息手段」。特に203,4頁URLで藤沢は分数の #掛算 は全く形式的に定義できると主張している。
さて,現在の算数で,無理数の存在にも注意しながら,どのようにかけ算の意味を決めたり活用したりするか,と意識を切り替えると,思い浮かぶ論文が1つ,本が1冊あります。論文は,以前から[中島1968b]と書いてきたものです。念のため,書誌情報は次のとおりです。
- 中島健三: 乗法の意味についての論争と問題点についての考察, 日本数学教育会誌, Vol.50, No.6, pp.74-77 (1968). http://ci.nii.ac.jp/naid/110003849391
ただしそこでは,かけ算の意味をこのようにすれば,無理数にも適用できる,と主張しているわけではありません。「」という,かけ算の式は,アメリカの雑誌における論争を取り上げる中で出現します。
有理数を対象とした,かけ算の意味づけは,次のとおりです(p.76)。
b) 小数・分数(有理数)の場合に,どんな意味づけをするか.
累加の考えの問題点は,周知のように,整数の場合でなく,乗数が有理数の際に起こる.わが国の場合は,累加という考えをそのまま用いないで,次のような意味に一般化(拡張)する方法をとっている.すなわち,
A×Bについて,A,Bを次の意味に対応させる.下の図では,A×Bは,Bの目盛に対応する大きさをよみとることに当たる.
A……基準(単位)とする大きさ
B……Aを単位とした測定数(measure)
これは,割合の考えともいわれているが,A×BはAという単位量のスカラー倍(Bに比例して拡大縮小した大きさ)を表すという考えである.
上記は『新式算術講義』の「1より倍加及等分によりてbに達すると同様にしてaより倍加及等分によりてabに達す」と合致します。「倍加及等分」は,「拡大縮小」です。
中島による公開授業は,『小数・分数の計算 (リーディングス 新しい算数研究)』p.84より読むことができ,そこではじめに出現するかけ算の式は120円×3.4です。上記と同じ考え方で,小数の乗法における意味の「拡張」が,小学校学習指導要領解説算数編にも記載されています。
「Bの目盛に対応する大きさをよみとる」や「測定数」といった表記から,Bに無理数がくる(例えば測定数がになる)というのは,算数において非現実的だと言えます。ですが,そのことを取り入れた授業例が,最近出た次の本に収録されていました。
「資質・能力」を育成する算数科授業モデル (小学校新学習指導要領のカリキュラム・マネジメント)
- 作者: 大野桂
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4年の「面積の求め方」の単元です(pp.60-63)。4cm×8cmの長方形と,対角線の長さが8cmの正方形を横に並べ,先生は「どちらの面積が大きいですか」と問います*2。
子どもらが,正方形の一辺の長さを測ると,5.6cmと5.7cmの間です。
mmに直せば,4年でも,面積が計算できます。56mmだと,56×56=3136㎟,57mmだと,57×57=3249㎟で,長方形の面積(3200㎟)は,その間になります。
これは意図的なもので,p.61には「実際は、1辺を4cmとしているため、5.656…cmである。」と,根号を含む表記も見られます。
三角形やひし形の面積は,まだ学習していないものの,先生のヒントにより対角線の長さが8cmであることを子どもらは知ります。図形を切って貼って,1辺の長さが4cmの正方形を2つ作り,最終的に,面積は32㎠となることを,導いていました。
この授業から,平方根や無理数の概念を,子どもたちが学んだわけではありません。を取り入れ,定規できちんと測れない長さの図形を用意したのは,先生による「姑息手段」です。その作為を乗り越え,面積を求めることができたという経験が,授業としては大事なところですが,切り貼りしても面積は変わらないこと(量の保存性)や,1cm=10mmだけれど1㎠≠10㎟であることなど,小さなポイントも,見逃すわけにはいきません。
*1:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827403/229でも読めます。対応する本文はhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827403/93です。
*2:画像生成のコマンド:convert -size 425x180 "xc:#eef" -fill "#66f" -stroke black -strokewidth 0.0666 -draw "translate 5,30 scale 30,30 rectangle 0,0 8,4" -draw "translate 250,5 scale 30,30 rotate 45 polygon 8,0 4,-4 0,0 4,4" -quality 92 boxes.png