かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

かけ算の意味の形式陶冶・形式不易・形式理解

 このツイートをした動機や関心などについてはhttps://twitter.com/takehikom/status/1522059537905512448で書きました。ツイートで明示しなかったことを,記しておくと,「形式陶冶と実質陶冶」のツイートをするより前に,メインブログとサブブログで「陶冶」を検索したところ,ヒットしませんでした。
 ともあれWeb上の情報を通じて,実質陶冶・形式陶冶がそれぞれ何で,教育する側はどのような点に注意すればよいかを,知ることもできます。
 ここで焦点を絞ります。ツイートで部分的に書いた事項のことです。
 平成29年(2017年)告示の小学校学習指導要領では,算数の第5学年に「乗法及び除法の意味に着目し,乗数や除数が小数である場合まで数の範囲を広げて乗法及び除法の意味を捉え直すとともに,それらの計算の仕方を考えたり,それらを日常生活に生かしたりすること。」という事項があります。URLひとつだとhttps://w3id.org/jp-cos/8250253132100000ですが,関連する事項も読みたければ,https://erid.nier.go.jp/files/COFS/h29e/chap2-3.htmがおすすめです。
 この項目には,実質陶冶と形式陶冶の両方の要素が含まれています。実質陶冶に当たるのは,項目末尾の「日常生活に生かしたりすること」で,それに対し,「乗数や除数が小数である場合まで数の範囲を広げて乗法及び除法の意味を捉え直す」「(乗数や除数が小数である場合の)計算の仕方を考え」は,形式陶冶を踏まえたものと読み取れます。「日常生活に生かしたりすること」も「乗法及び除法の意味を捉え直す」も,以前の小学校学習指導要領には入っておらず,「乗法の意味の拡張」の実質陶冶・形式陶冶にかかわるこの規定は,そこから新たな教え方,学び方を模索できるように,思っています。
 小数のかけ算・わり算について,計算ができることや,文章題などに対して適切に演算決定を行い立式できることが,実質陶冶と関わることについては,当たり前のように見えます。
 それに対し,「乗法の意味の拡張」を,形式陶冶として捉えること---「形式陶冶」の表記なく---については,関連する文献があります。

 以下の2箇所が特徴的です*1

 イ.この指導を通して,整数の場合にとった乗法の意味を拡張することの必要を意識させ,拡張の考えを用いる機会をこどもに与えることができること.
(p.76)

 なお,イ.であげた拡張の考え(文献番号省略)は,数学的な思考力を育成する上で重要な意義があると考えられることであるが,アメリカの教科書では,このような点についての積極的な意図がみられない.
(同)

 ところで,子どもたちにとって「×小数」が未習のとき,「1mが120円のリボンがあります。この2.5m分の代金を求めましょう。」という問題に対し,「2m分の代金なら120×2=240で240円,3m分なら120×3=360円,だから2.5m分の代金は120×2.5」と考えることは,実質陶冶・形式陶冶のいずれとも見なされません。
 代わりの用語は「形式不易の原理」です。より具体的には,「1mの金額×長さ=代金」や「単価×数量=金額」という言葉の式は,長さ・数量が整数でも小数でも適用できること,と言えます。
 『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説算数編』のpp.241-242には,120×2.5に関して「類推して考える」理路が書かれていますが,そのあとを読むと,その類推でいいんだよ,計算して答えを求めましょう,という展開にはなっていません。『初等算数科教育』pp.71-74も同様です。それらの記述や,小学校の授業内容を「まどろっこしい」と感じる読者や,参観者がいたときに(またはそういった人々を想定して),形式陶冶を踏まえた意図を説明するのは,自然な流れであるように思われます。
 最後にもう一つ,「形式」を使った用語を示します。簡単な図式として,5年で学習する「速さ」に適用できるようにしたものが,「はじき(みはじ)」であると解釈した場合,その教え方*2・学び方は,形式陶冶でも形式不易でもなく,「形式的な理解」と呼ぶのがいいでしょう。算数教育の書籍でも「はじき(みはじ)」には否定的な記述をよく目にします。

*1:本記事では,「かけ算の意味」とは何かについて,直接的な情報を提供していません。https://takexikom.hatenadiary.jp/entry/2021/10/30/061033をご覧ください。

*2:https://takehikom.hateblo.jp/entry/20140527/1401138001で引用した「心情的陶酔とは結果として起こるものであって、それを目標にして移動大学なんかやったら、これは本来的なものとはかけ離れた脱線であり、冗談じゃない、と言わざるをえない」を,算数の速さの話に置き換えると,「はじきの図式は結果として起こるものであって、それを手段にして(はじきだけを教えて)速さの応用問題なんかやったら,これは本来的なものとはかけ離れた脱線であり,冗談じゃない,と言わざるをえない」となります。