かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

平成15年度の,かけ算の交換法則の授業

 終章(pp.173-202)のタイトルは「教室の生成」で,「ある算数の授業を事例として」というサブタイトルがついています。「決まりみつけ」そして「交換法則」に関する授業です。著者が授業の展開を叙述したあとのp.196には,授業者(F教諭)の授業案について言及があり,「九九の表を見て、その対称性に気付き、乗法の交換法則について理解する」を,子ども達に望む学習内容としています。なお,授業実施の年月日は明記されていませんが,p.180には「現在(平成一五年度)かけ算の入門のために…」と書かれてあるほか,参考文献には「平成一五年度 香川大学教育学部附属高松小学校初等教育研究発表会算数部提出資料」が記載されています。
 ページを戻ると,九九表(p.187 図2)のほか,以下のような「アレイ図マシン」(p.188)も活用されています.アレイ図 (2015.12) - わさっきhbで紹介している「かけ算マシーン」と類似しています。ともに,縦方向・横方向にそれぞれ伸縮して,かけられる数とかける数を変更できるようになっています。
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 「九九の表」「対称性」「交換法則」を結び付けるのは,p.192の図5です。「九九表を、1から81までの対角線で折り重ねて、鉛筆で数字を突き刺して穴をあける」という操作を,F教諭が提示しています。
 子どもの発見は,pp.195-196に現れています。書き出します。

 Mさんが立ち上がってF教諭の元に来て話しかける。F教諭はその内容をみんなに言ってくれるように言う。Mさんは自分でチョークを握って黒板に図を書く。ひとつは、縦に○が6で横に○が3。それとならべて、縦に○が3で横に○が6ならぶ図。そして「ろくさん一八(6-3-18)、さぶろく一八(3-6-18)で、答えは一緒だけれど、図は違う。こっち(縦に○が6で横に○が3)は細長くなるけど、こっち(縦に○が3で横に○が6)は……」と、F教諭が「横が長い?」と助け船を出して、Mさんは「横が長いから」と続ける。席に座ってそれを聞いていたY君がそうしたMさんのことばを受け止め、「(ろくさん一八とさぶろく一八とは)意味が違う」と続けたのだった。
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 上記についての著者の分析は,pp.199-200にあります。

 そうして、なおこの時間のF教諭の直接的な願いを越えて、このかけ算の単元全体に関わる深い理解のようすをみせてくれるのが、Mさんである。
 F教諭がT君とE君のふたりのふるまいを「あーよく分かった。ふたりで言ってくれて、ひっくり返しながら言ってくれて、よく、分かった」という表現でフォローして、それが、「かけられる数とかける数とを入れ換えても答えは同じ」という交換法則の理解によるふるまいであることを、クラスのみなに印象づけたその後に、Mさんは自発的にひとりで黒板のところに来てチョークを握る。そして黒板に図を書いて、「ろくさん一八(6-3-18)、さぶろく一八(3-6-18)で、答えは一緒だけれど、図はちがう。こっち(縦に○が6で横に○が3)は細長くなるけど、こっち(縦に○が3で横に○が6)は横が長いから」と、違いを強調する発言をする。交換法則の言説それ自体は「同じ」ことの強調である。が、Mさんは「同じであるけれども違う」という逆の言い方をしているのである。
 それは、理解できなくて混乱しているのではない。同じなのに違う、違うのに同じ、と、表現の幅を自在に行き来できるこの状態こそ、かけ算の「表象」を我がものにしたふるまいかたである。かけ算には「単項演算」と「二項演算」という別々の種類があると言語化される『指導書』の整理を越え、かけ算の全体がとらえられたふるまいである。ここには、「表象」がコピーのように継承されるのではなく、意味形成としてもたらされることが顕現している。

 「単項演算」と「二項演算」は,p.180で解説・例示がなされています。個人的には(かけ算の)二項演算を「量×量で全体の量を求める演算」によって特徴づけるのには賛同できません*1。そのほかp.181には単項演算の式の指導に関連して,「aを「かけられる数」、bを「かける数」として、必ずa×bとかかなければならないことを繰り返し練習する」という書き方をしている点からも,奥付によると香川大学教育学部教授という著者について,算数が専門でないことを推測できます。
 この終章は,算数教育の専門家でない著者から見て,「単項演算」と「二項演算」そして「(乗法の)交換法則」の考え方が,授業を通じて(先生と子どもたちが,それらの用語を使わずに)どのように現れてきたかを綴ったもの,と理解するのがよさそうです。
 「同じなのに違う、違うのに同じ」を含む,授業や指導の事例について,メインブログ(わさっきhb)の記事にリンクしておきます。


 メルロ=ポンティは,wikipedia:モーリス・メルロー=ポンティによると20世紀のフランスの哲学者で,数学や数学教育の専門家ではなさそうです。『数学する精神 増補版-正しさの創造、美しさの発見 (中公新書)』のp.210にも名前が出現します。

*1:アレイ図を「量×量」と見なしてよいのか(「数×数」なのではないか),また「内包量×外延量」の算数導入向けの説明となる「1あたり×いくつ分」も,二項演算となり得るけれどもこれは妥当なのか,という疑問点を持っています。