かけ算の順序の昔話

算数教育について気楽に書いていきます。

ウサギの耳の数について,全国算数授業研究会元会長の見解は

 縦書きの本です。「10」や「0.5」などは縦中横で,「180」や「2+3=5」などは1文字ずつ縦書きになっています。
 タイトルに「本質」が含まれているので,「かけ算の本質」についても書かれているのかと思いながら,目次を見ると,「子どもの姿にみるかけ算・わり算の本質」というのがありました.執筆者は千々岩芳朗*1で,p.146から始まります。
 ウサギの耳の数のかけ算の話が,書かれていました(pp.148-150)。

(略)4年生の子どもたちに次のような問いを投げかけてみた。「ウサギが5羽います。耳の数は何本ですか」と。すると多くの子は10本と答える。続けて「どうやって計算したの?」と問い返すと「5×2」と答える子が。この答えに疑問を呈する子もいたが、意外に多くの子がこの考えに賛同した。そこで「この式を絵にすることはできる?」と問うと、とまどいはじめる子と何の違和感も抱かない子に分かれた。何の違和感も抱かなかった子は、図4のようなものを、とまどっていた子の声からは図5のような何とも変なウサギができあがった。すぐに子どもたちから「5×2だから、5が2つあることになるよ」「怖いウサギができたね」教室内に笑いが広がった。このことからもわかるように、問われていることのイメージはなく、計算のしやすさで処理していたことがよくわかる。そこには「かたまり(一あたり量)のいくつ分」という考えはないといってもいいのではないだろうか。しかし、この話には後日譚がある。それは、全国算数授業研究会の元会長 細水先生と話をしているとき聞かせて頂いたことだ。「5×2でもいいという子がいたんだよ」「えっ、どんな考えだったのですか」と私。「その子は、「ウサギさんが5羽前にならえをしているんだよ。すると右耳5本、左耳5本でしょ。だから、5×2でもいいと思う」といったんだよ」と細水先生は教えてくださった。子どもたちの想像力はすごいと感心した次第だが、この考えを創造した子は「かたまり(一あたり量)のいくつ分」の「かたまり」を事象に働きかけることで見いだしていったのだ。

 図4は,耳が2本のウサギが横方向に5羽,並んでいる絵で,図5は,耳が5本生えている1羽のウサギの絵です。「耳が3本生えたウサギ」はasahi.com(朝日新聞社):2×8ならタコ2本足 - 花まる先生公開授業 - 教育に書かれています。
 「ウサギさんが5羽前にならえをしているんだよ」を表す絵は,載っていませんでしたが,「かけ算の順序論争」に参加してみるの図4が,同等のものと言っていいでしょう。さらに過去の著述としては,遠山啓が1972年,「6×4,4×6論争にひそむ意味」に書いたうちの「ぼくは右の耳はいくつかと考えたら3で,左の耳も3でした.だから,みんなで,3+3=6としたのです」*2と照合することも可能です。
 「ウサギが5羽います。耳の数は何本ですか」の出題に「5×2=10」と書いたときの,式の読みについては,「耳の数が5本のウサギが2羽になってしまう」のほか,「5羽の2つ分で,答えは10羽になってしまう」とすることもできます*3
 「右耳5本、左耳5本」の考え方を,等分除の操作(いわゆるトランプ配り)に活用しようというのなら,意義があるのかもしれませんが,2年で「右耳5本、左耳5本」の考え方を認めて3年の等分除に生かすような学習指導案や授業事例は見かけませんし,『小学校学習指導要領解説(平成29年告示)算数編』に書かれた「等分除は,□×3=12の□を求める場合であり,包含除は3×□=12の□を求める場合である」*4との整合性も問われることになります。
 上の引用には「本質」の語はなく,「子どもの姿にみるかけ算・わり算の本質」のうちp.147以降に出現する「本質」に続くのは「に(へと)導く」「に近づけていく」ばかりで,教師が「これが本質」と思うものに子どもたちを導けばいいと解釈でき,内容的には残念でした。
 Chapter 1(なぜ今、算数の本質を問うのか)の5人の文章を読んでも,「算数の本質」を得る手がかりは,つかめませんでした。読み進めていき,p.66とp.70に書かれた「算数の本質とは「単元で最もポイントとなる内容の数学的な見方・考え方」である。」について,元になる文章があるのかと思いながら検索し,見つかりませんでした。
 「本質」について,これまで読んできたのは: